なさけない話が…てんこ盛りな裏プロフィールです。
(^^;)
きちんとした事業プロフィールは
こちらになります。
中学・高校生時代
全く勉強ができなかった学生時代は、常に赤点のオンパレード。
理数系、文系ともに悪く、美術および英語で点数を稼いでおりました。
(とは言っても、それらが小マシやっただけですが…)
今も変わらず、暗記力は非常に悪いのですが、どうも英語は「感覚で」つかんでいたようです。
それも昔の話なので…今は中学生レベルの英語も??なのが現状。
運動音痴な私は体育もダメダメで、赤点まではいかなかったけど、結構ギリギリでした…
体育の授業中は「ヒドすぎる運動音痴」に、みんなからよく驚かれてました。
(´・ω・`;)
現在「踊りは大好き」なんですが、これはまた運動音痴とは関係ないんですね。
もの覚えが非常に悪すぎるため、振付は覚えれない…だからただただ「感覚で踊る」んです(笑)
短大時代
何とか、暗記受験勉強とは関係ない、美術系の短大に入学する。
(かといって「芸術」がやりたい訳じゃなかったので、苦労の日々。汗)
なんせ情けないことに、やりたいことは何もなかったのです。
フリーター時代
短大を卒業したものの「デキの悪さ」で何処にも就職できず、書店およびメガネ屋でのフリーター生活を1年間過ごす。
(ちょうどバブルが崩壊した時期でした。)
あの頃はバイトしながらも「一応」就職活動をしつつ、まだ「学生気分」が抜けてなかったので、まだまだモラトリアム思考という…大バカでした(苦笑)
(就職活動しながらも、あまり乗り気ではなかったですね。汗)
書店では本の仕入れを担当。とても楽しかったです。
そこの書店はその当時「まだバブル期を引きずってた時期」だったせいかもしれないですが「売上」のことは何も言われず、好きな本をただただ自由に仕入れしていたように思えます。
(アカんやろ!笑)
メガネ屋でのバイトは何をしてたかと云えば、売っていた訳ではなく
「万引き防止のため」立っての見張り番…そう…ガードマン的な役割でしたね。
(今は知りませんが、当時はメガネは割と高級品で、万引きが多かったのです。)
正社員時代(21歳)
ハローワークで「広告デザイナーアシスタント、未経験可。」という広告制作会社の求人を目にし、即応募。
仕事はなんせ何でも良かったので(事務職なども応募したけどことごとく落ちた。汗)
「未経験可」な条件につられて、やっと1年間のフリーター生活を終えました!(バンザーイ!)
しかし、私の学生時代はまだ学校にパソコンが無い時代で、ちょうど入社した時期が「世間やデザイン業界にパソコンが導入されはじめた」タイミングだったため「おお、マウスも使えん。汗」なところから毎日激しく怒られながらの、真っ白な状態からスタート。
仕事場の帰り道では、ダメな自分を反省しつつ、よく泣いてましたね(涙)
会社では
「やや暗い表情かつ、か細い声で挨拶(あいさつ)」していたことをも、上司に怒らてていたため(汗)その辺りに関しましてはとても自己啓発になりました。
(ありがとうございました☆)
また、貯金したお金でマッキントッシュを購入し、週末は自宅でデザインの練習をする日々を送っていました。
しかしながら、立場としてはあくまでも「アシスタント」なので、お仕事の主な役割としては電話を受けたり(当時はまだメールによる原稿のデータ送信ができませんでしたので)お得意先に制作原稿を直接持っていくことが主でありました。
(当時のアシスタントといえば、そういう感じでありました。)
しかしながら…
ダメダメ社員(アシスタント)のまま大した成長もせず、たった1年半でデザイン事務所を退社。
派遣社員時代(20代)
その後派遣会社を通して、派遣社員の広告デザイナーとして色々な会社を転々としたりで、またもやモラトリアムな時期を送り続ける。
(なんせ就職ができませんでしたので…まぁ、なさけないことに、今思えば面接用のデザイン作品を、たいして作っておりませんでしたから。汗)
この派遣社員時代に他の派遣社員からラジオ放送局
FM COCOLO(ココロ)の存在を知る事になる。
(その当時は今の
FM COCOLO(ココロ)とコンセプトが全然違ってて、インターナショナルな内容が刺激的でした
♪)
その当時の私は、元々はこのラジオ局の存在を全く知らなかったのですが、その後自宅で聴くようになったことがずばり意外にも、
私の運命を大きく動かすことになる。
広告デザイナーのフリーランサー時代(20代の終わり頃)
いつまでも派遣社員でいることに不安を感じていた私は、ある時「フリーの広告デザイナーになる!」と決め、あちこちの会社に営業電話を繰り返す。
仕事はそこそこ順調に取れ(あらゆる営業の中でも、
広告制作の請負(うけお)いの営業は取りやすいそうです。)最初は楽しくお仕事していたものの
「元々が好きな仕事じゃない」ため、どこかむなしい日々。
納期を守れなかったりしてましたね(汗)
だけれども
「広告制作の仕事は好きじゃないけど、営業電話をしての→営業面談が好きだった」のは、今のお仕事と、とても繋がるところであります。
そうそう…結局は「コミュニケーション」の方が好きやったわけですね☆
私の人生を変えた、ボランティアとの出会い
そんな日々を送る中、ある日、自宅で仕事をしながらラジオ
FM COCOLO(ココロ)を聴いていると、あるボランティア団体の方がゲストとして出演されており、その方の
「お茶をしながら、楽しくボランティアをしませんか?」なアナウンスに誘われ、ただただ日々が退屈でむなしかった私は、
暇つぶしにと(!)そのボランティアに参加(笑)
そこのボランティアに毎月2回だったかな?参加していた際に、ある方から「スペイン語学習」を勧められる。
当時、スペイン語圏の国にもスペイン語にも全く興味がない…私にとっての未知の世界ではありましたが、とりあえずスペイン語の勉強をスタートすることに(笑)
そこでラテン文化やラテン音楽、スペイン語に一時的にだけハマる。
(一時的で終わったのが、なさけないですが。汗)
カウンセリングとの出会い(32歳になる直前の31歳)
そこでのボランティア活動よりも→スペイン語にハマッた私は、結局はそこのボランティアに通うことはやめてしまい、その代わりに、スペイン語教室に通うことになった。
(おいおい。笑)
そこでラテン系(チリ人)のスペイン語の先生と友達になり、彼女の誕生日パーティーに誘われる。
誕生日パーティーで出会った彼女の友人のやはりラテン系の女性(メキシコ人)と知り合う。
その当時に「あるもやもやと悩んでいたことを」そのメキシコ人の彼女に話すと「カウンセリングを受けたら?」な助言を受けたのですが、その当時カウンセリングは今ほどメジャーじゃなかったので
「何だそれ?」な想いを持ちつつも…素直な私は受けてみた(笑)
「カウンセリング」を受けるなか「これは勉強したら、手に職が就くかな?」といった安易な気持ちで、心理学の勉強をスタート。
(アホなきっかけですね…そうそう、最初のきっかけは何でもいいんやと思うんです。今もずっと、その当時のアホな考えを持ち続けていたら、大問題ですが…)
勉強を続けるうちにカウンセリングの世界にハマり「カウンセリングの世界で腹をくくろう!」と決め、職安で見つけた就労支援事業所に転職しながらの勉強を続ける。
(デザインの仕事はいったん、終了。)
カウンセリングをいったん、ドロップアウトした(35歳)
カウンセリングの勉強を3年ほど続けながら、ボランティアでのカウンセリング修行(2006年10月:33歳~2008年6月:35歳のほぼ毎日)の活動も行っていたが「やっぱりこの世界は向いていない!」と突然投げ出し、心理学関係の書籍などを全て処分する(汗)
そして就労支援事業所も突如辞めてしまい、同じスクールに通っていた人たちからは「あんなに熱心だったのに!」とビックリされる。
まぁ、その当時は
頑張りすぎて燃え尽きたとも云えるでしょう(苦笑)
カウンセリングを学びながら、ボランティアカウンセリングも行い、色んな講座やワークショップに行きまくってましたから。
「もう夢も希望もなくなってしまった…」と感じた私は、なさけないことにフリーのデザイナーに復帰。
再びデザイナーとしての電話営業活動をイチから開始し、2年ほどとある事業者数名の売り上げサポートをしながら、ホームページ制作などを行う。
当時、サポートしていた事業者の売り上げアップに貢献…自慢です。笑
また、事業者らのホームページを制作中に思いついた、独自のアートセラピーを確立し、チラシを配布しての自主講座を行い
(カウンセラーではない)事業サポーターとしての、現在のお仕事の基礎となる
アビエルトを、2010年(37歳)に立ち上げる。
(2011年8月にクレオ大阪で行った、初めての自主講座は、他の講師を1名招いての、2人講師構成にて実施しました。
場所レンタル代&他の講師へのギャラ代&チラシ代がかかったため、なんと赤字でしたが、この講座が今の私の基礎となっております。
当時の私は緊張しすぎて、震えながら人前で話していたものの、慣れていくものですよ☆)
カウンセリング業で覚悟を決めた時(37歳の12月)
事業サポート的な仕事をしていくうちに「やっぱり私はカウンセリングが大好きだ!」な気持ちが復活。
(ホームページ制作を行いつつの
事業サポート自体が
カウンセリング(=自己啓発)みたいなものですから。笑)
また、同時にその当時、長年使っていたパソコンが壊れたことがきっかけで、事業サポーターとしての「ホームページ制作のお仕事」を辞退する。
(当時は、PCとデザイン制作のソフトウェアを同時に買うための、金銭的余裕がありませんでした。古い型のPC対応のソフトしか持っていなかったため。汗)
2014年(41歳)の夏に入るまでは、色々なアルバイトをしながら、レンタルルーム(共有オフィス)を借りながらのカウンセリング業務を行う。
(アルバイトは、専門学校の心理学講師や、就労支援スタッフ、まんじゅう工場の作業員、清掃業など色々やってました(笑)
最初の方は同時に、無料のモニターカウンセリングも、ちょこまかと行ってましたね。過去の有料カウンセリングの予約状況を見てますと、2013年(40歳)まではカウンセリング件数が超少ない!よくやってたなぁ。
また、広告費を思いっきりかけたものの上手くいかず、借金が膨れ上がって大変な時期でした。汗)
また、癒し系イベントにて15~20分カウンセリング(1回500円くらい)もちょこまか、行っておりました。
カウンセリング事業が順調にまわりだす(41歳の7月)
2014年(41歳)の夏より、カウンセリング予約がどっと急に増えたため、共同オフィスでは運営が難しくなり、現在の事務所に拠点(きょてん)を構えることになる。
(なんとまぁ、偶然にもここのビルが完成した日と、私の誕生年月が一緒だということが、後から発覚しましたわよ。笑)
今に至る。(^^)
きちんとした事業プロフィールは
こちらになります。